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2011年奈良(3)-藤ノ木古墳・法隆寺・中宮寺 [寺・仏像など]

翌日はJRで法隆寺へ行くことに。
JR奈良駅が見違えるといいますか、まったく別の近代的な駅になっていたので、
ひとりワーワー大騒ぎしてしまいました。
かつての懐かしい駅舎は、高架となった線路と切り離されて残っていましたが、
そのまま保存されるのでしょうか。

法隆寺駅からはタクシーを覚悟していましたが、ちょうどシャトルバスに乗れました。
降りて門まで歩くわずかな間に、非常に熱心にビラを配っている女性が。
その様子から、明らかに物販や宗教的な勧誘とは違う気がしたので、
なんとなくビラを手に取ると・・・

「藤ノ木古墳 石室特別公開」

え!?なんですって!?
聞けば毎年春と秋に公開しているそうですが、
今年は震災のため春は中止、秋はこの5日、6日の二日間だけとのことです。
まさに千載一遇、天からの棚から牡丹餅。
「古墳に入れるなんて、めったにないのよ!」
と、子供を引きずる様にして行ってみました。


法隆寺を最後に訪ねたのが何年前だったのかどうしても思い出せないのですが、
おそらく、5,6年・・・もう少し前でしょうか。
帰りに利用したタクシーの運転手さんが、
近いからと藤ノ木古墳を経由してくれたことがありました。
その時は狭い民家の間を走り、ここだよと教えていただいても、
他の小さな古墳同様、森の様なものが見えるだけだった気がします。

ところが、今回は法隆寺の門前を左に曲がるともうそこから、
まるで遊歩道の様に明るく整備された道が続いています。
確かに民家や田畑の間を通りますが、迷うことのない一本道、
藤ノ木古墳そのものも、小さな公園の様に整備されていて驚きました。

石室内部は狭いため一度に10人程度しか入れません。
ちょうど団体さんとぶつかったため、40分ほど待ったでしょうか。
その間、ボランティアの腕章をつけたたくさんのスタッフの方に、
古墳のこと、昨年(2010年3月)出来たばかりという斑鳩文化財センターのこと、
それからひこにゃんより昔からいるとご自慢らしい、ゆるきゃら「パゴちゃん」のこと、
たくさんお話して頂きました。

斑鳩文化財センター
http://www4.kcn.ne.jp/~ikaru-i/spot10/ikarugabunnkazaisennta.html

パゴちゃん
http://www.town.ikaruga.nara.jp/syo/item_420.html

111111nara05.jpg



いよいよ古墳内部です。
羨道には、人ふたりがやっとの幅の橋げたの様な通路が組まれていて、
玄室ぎりぎりまでたどっての見学です。
玄室内はわずかな照明ですが充分に見え、4メートルという天井のお陰か広く感じます。
奥に横向きの家形石棺。
わずかに朱色が残ります。
そこで、男性二人の被葬者が確認されたこと、
貴重な未盗掘の発見で、出土品はすべて国宝指定をうけたこと、
それだけの副葬品が出ても、被葬者が誰かの特定はできていないこと、
崇峻天皇陵という説も出たものの、他に有力な候補がある(赤坂天王山古墳)ため確定しないこと、
など、中にふたりいらした係の方の片方がお話してくださいました。

古墳の持つ独特の雰囲気はとても言葉にはできません。
お墓ですから・・・
あばいて土足で「見学」を暴挙かもしれないと感じる気持ちを大切にしながら、
でも、忘れないで欲しいと願いながら逝き、忘れないからと泣いて葬った、
そんな遠いご先祖様たちを、今もこうして忘れないで訪ない、
どなただったのかと問いかけ続けることは、小さく無力な命の連続の中で、
今、できる最大のことなのかもしれないとも思います。



来た道を戻って、法隆寺です。
中門を左に行って回廊の中に入れば、本当にいつ来ても満たされて安心する空間です。
調和がとれているというのか、無用なものがないというか。

まず五重塔。
雨は降っていませんでしたが、薄曇のこの日、明暗差が少ないお陰か、
塔の扉から垣間見る内部の塔本塑像(塔本四面具)、よく見えました。
若い頃はこの群像の良さなどわかりませんでしたが、
今しみじみ見ると、素朴で無慈悲にも見える忽然感で、そこにおさまっています。
手前のわずかな扉と金網で守られただけの小さな空間に、
ただただあり続けた土の像たち。
そのことだけ思っても、ぞくぞくします。

悟りや論説の場面、表現の静かさも凄いと思いますが、やはり、
一番記憶に残るのは、北側の釈迦涅槃図(北面涅槃像土)、
釈迦の今際の際にただただ号泣するしかない僧たちの、
小さな土人形。
胸を叩き、天を仰ぎ、地に伏し、
大きな口をあけて顔をくしゃくしゃにして、吼える様にあられもなく嘆く姿は、
人間の有様を見せて本物の人間以上ではないでしょうか。
小さな土人形の伝えてきたものの大きさに粛然とします。


それから金堂。
「ライトアップ」がされてから初めて訪ねます。
ここも、見学者の便だけを考えた豪勢な照明かと心配したのが、
どこから照らしているのかも一見わからない、ほのかな明かりだったので、
もう今回何度感じたかわからない安堵を覚えました。
色味のせいか平面的に見えてしまうのは、致し方ないことでしょうか。
少なくともまず立ち止まる全員がつぶやいていた「見えない」という愚痴だけは、
封印できていると思いました。
四周の壁画(複製)もよく見えましたし。

・・・もっとも私は、暗さの中じっとしていると、
やがて像が形を作って浮かび上がってくる、あの瞬間が好きだったのですが。


ここの仏像はそれぞれの姿に感じ入るというよりも、
この空間すべてでひとつの感動を与えてくれるものと思います。
ぽっかりと、異空間の眼前に広がる様子は、
見たことはなくても、たとえ想像だとしても、
ここだけに古代の時を留めていると思わせる強い拒絶感で迫ってきます。
決して、踏み込むことを許されない時の空間として。


講堂のあっけらかんとした中を通り、鏡池のある庭?へ。
かつては大宝蔵殿へ直進していたのを、うろ覚えに左のほうへ行くと、
平成10年落成の、百済観音堂のある大宝蔵院への道順が出ていました。
のっけから夢違観音像、玉虫厨子、九面観音像と、極上の宝物が並びます。
中央に百済観音像がいらして、橘夫人厨子、百万塔と百万塔陀羅尼などなど、
他も勿論、こちらの器が間に合わないくらい、素晴らしいものが次々流れこみます。
しかし子供は、もう五重塔時点で辟易としていた様子で、
さっさと進んでしまうのを、大きな声で呼び戻して無理矢理見せてしまいました、
ご迷惑おかけしてすみません・・・。

本物を見せたかったのは勿論見ですが、実は自分が子供の頃、
「玉虫の厨子は玉虫の羽を使って飾っていた」
というのを聞いて、いったい虫の羽をどこにどう使っていたのか、
表面に貼っていたのか?それとも下部を取り巻く虫の甲羅めいたものが羽だったのか?
そもそも玉虫自体あまり見慣れない虫だったこともあり、
さっぱり想像もつかないまま長く疑問でした。
厨子を取り巻く透かし彫りの金具の下に文字通り玉虫色の羽を敷き詰めていた、
というのを知ったのは、成人してからです。
しかし今ここには、実際の荘厳の様子を1区画分ですがきらめかしく再現したものが参考展示してあります。
これを見せたかったのです。
今は黒ずんで落剥の風情漂う厨子ですが、
当初はこのまばゆい金と玉虫色に輝くものすごいものだったと、
子供は想像してくれたでしょうか。


そこから東院へ。
この道はいつも、上原和さんの聖徳太子論の表題「斑鳩の白い道の上で」を思い出します。
渋い紅葉が綺麗でした。

111111nara06.jpg



夢殿では、私が世の中で一番怖ろしい仏像、と思っている、

救世観音像

が秋の開扉期間で拝観できます。
怖ろしいです、ただただ、ぞっとします。
憤怒像でもないし、静かに佇んでいるだけなのに、
どうにもこの怖ろしさは、最初に見たときから変わりません。
不思議ですね。
聖徳太子の等身大像といいますが、デスマスクではないのかと思ったことすらあります。
あまりにも人間そのものなのですもの。
肉食をし、鼻息の荒い、まぎれもない男の人がそこに立っている気がするのです。
しかも、有無を言わさぬ力で迫ってくる。
それはそれは、怖ろしいです。


ここから、最後の訪問、中宮寺へ。
今までの、古代建築を残そう、守ろうとする大寺院に比べて、
昭和の建築が池に囲まれて建つ姿は柔らかに感じられて、
子供も少しほっとした様子でした。
靴を脱いで仏像の前に座ってお話を聞くというのも、
考えてみればこの旅ではじめて

半跏思惟姿の弥勒菩薩像はやっぱり不思議です。
私にはまだ、はっきりと形を見せてくれません。
好きとも嫌いともなく、荘厳の少ない小さなお部屋につくねんと座ってらっしゃいました。


覚書がわりにと長く書いてしまいました。
今年の奈良は、これでおしまい。
来年中学に入る息子。
おとなしく?奈良について来てくれるのも今回まででしょうか。
何でもいいです、本物の持つ力だけでも、感じてくれていれば。

正倉院展にあわせてコツコツ秋の奈良に通って四半世紀を越えました。
訪ねるたびに、想いが深くなっていきます。

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2011年奈良(2)-正倉院展・興福寺国宝館 [美術館・博物館]

奈良国立博物館
「第63回 正倉院展」
会期:2011.10.29(土)~11.14(月)
訪ねた日:2011.11.5
書いた日:2011.11.14


東大寺を戒壇院から出て南へ。
風情ある路地を通って依水園へ抜け、そのまま奈良博の正倉院展へ。
途中知事公邸を見つけました、勿論中は覗けませんが、
こんな場所にこんなゆかしい邸宅、さすが奈良です。

到着したのは午後1時頃でしょうか。
なんと、並ばずに入館できました。
25年以上通って休みの日の昼過ぎに並んでいないことなど記憶にありません。
雨とはいえ、大丈夫なのか・・・と、中へ入ればほぼいつも通りの大混雑で、
ついほっとしてしまいました。

遷都1300年祭で螺鈿紫檀五弦琵琶などの出た去年に比べて、
たしかに今年は香木や薬関係、繊維製品と、多少地味に感じても仕方ないかもしれません。
そして、すいている方が鑑賞には良いにきまっています。
でも、長く興福寺との境まで伸びた行列のためのテントが白く雨に打たれているのを見ると、
あまりに人気がなくなるのは哀しいと思ってしまいます。



中に入るなり椅子めがけて走り、座り込んで動かない息子に、
絶対見るよう言い含めて見せたものたちは以下です。


金銀鈿荘唐大刀(きんぎんらでんそうからたち)
質朴と豪華をあわせもつ大刀だと思います。
唐草模様の透かし彫り金具を効果的に配置した金蒔絵の鞘は、
華美になりすぎないおさえた魅力で時の風格を示します。
ほぼまっすぐな刀身は細身で、何故か柔らかそうにすら見えます。
透かし彫りにはまるガラス玉のほとんどが明治の新補だそうで、
往時の実物は如何であったかと、こればかりは残念です。


黄熟香(おうじゅくこう)
「東大寺」の3文字を隠した蘭奢待(らんじゃたい)という名前で有名な香木。
小柄な人の背ほどの長さがある意外と大きなものでびっくりします。
伝来や宝庫に入ったいきさつは不明瞭で、正確に記録に出てくるのは室町時代以降だそう。
各時代に少しずつ切り取った痕跡があり、
足利義政、織田信長、明治天皇の三方は、切り取った場所に付箋が貼り付けてあります。
義政と信長の場所に関しては根拠に乏しく、また、切り取らせたとしても本人の手が入ったかどうか、
それも定かではありませんが、自然木のごそっとしたそっけなさの中に、
多少不器用な四角い切り口があるのを見ると、
確実に誰かが守り残し、誰かが削り取ったという実感が沸いて、
そこに切り取った人が立つような、なんとも不思議な気持ちになります。
近年の調査では、今でも当初の香りを留めているそうです。
生涯に機会があれば、是非この香を楽しんでみたいものです。


七条織成樹皮色袈裟(しちじょうしょくせいじゅひしょくのけさ)
聖武天皇が実際に出家後に使用したと考えられる樹皮状の模様の袈裟。
本来ハギレを縫い合わせて作る出家者の粗末な衣装、糞掃衣(ふんぞうえ)を、
精緻な技術で「まるでハギレをつなぎ合わせたかの様に」織り出したもの。
ハギレをつなぐと言っても今の簡単なパッチワークとは別もので、
不定形に複雑にはぎあわせた様に織り出していて、模様がまるで樹皮に見えるのです。
カタログにその特殊な織りの技法が説明されていますが、
織物素人にはどうにも理解ができません。
美しい模様を織り出しながら、通常の綴織より強度も増したものだそうです。
しかし、この袈裟を見れば織りの技術がわからなくても、
なんと手の込んだ、それ以上に心のこもった織物だろうと、ため息が出ます。
羽織った聖武天皇よりも、帝の御為にと寝食を忘れ命も削って織ったかもしれない、
そんな名前も残らない織り子さんの姿が浮かんできます。


紅牙撥鏤尺(こうげばちるのしゃく)
撥鏤ばちるとは、染めた象牙に極細の線で模様を彫り出す技法。
これは紅く染めてあるので紅牙。
尺とあるのはものさしのことで、儀式用だったと思われます。
紅色の撥鏤尺は宝庫に六枚伝世し、私が特に好きなもののひとつです。
絶対的な品格の下の、自由で可愛らしく、奔放でありながら精緻な模様ももちろんですが、
色が。
この紅い色が物凄く好きです。
どこまでも鮮やかで激しく、見る者の胸をたぎらせるのに、
同時に果て無く深く沈みこんで静謐。
こんな印象的な紅は、蜀江錦とこれでしか見たことがありません。


今回、文書に興味深いものが出ていました。
昨年、明治時代に東大寺大仏の右膝付近の蓮華座下から出土し、
東大寺金堂鎮壇具の一式として国宝指定されていた二口の剣が、
天平時代に正倉院から出蔵されたまま行方知れずだった、
(そして国家珍宝帳に「除物」と付箋がつけられていた)
陽宝剣、陰宝剣に相当することがわかり、大変話題になりました。
その二口の剣が出蔵された時の、天平宝字三年十二月二十六日付けの書類、
それが出陳されました。
人が守り伝えて、今も大切に守り続けているからこその、
1250年ぶりの失せ物発見と、その証拠の品々です。
坊さんや宝物の管理責任者の署名を眺めていると、いろいろ感じるものがあって、
生きることの不思議さにまで思考が飛んで行きます。


息子の中に、何か残るか、何も残らないか、
それはわからないことですが、見せてやれたことだけでも、
感謝します。
遺して伝えて見せてくださった、総ての時代のすべての方へ。



ごちゃっとした写真ですが、カタログとチケット(小学生用)、
それから入り口で頂ける、読売新聞の特別号。
漫画も多用されていて、子供にわかりやすい内容です。

111111nara04.jpg




正倉院展を出てからは、いつもの、あの道は名前があるのでしょうか、
博物館の敷地内の、まっすぐ行けば興福寺の東金堂と五重塔の間に出る道を戻ります。
去年は、春(2010年3月)に新装開館したばかりだったせいか、
かなり並んでいたのでやめておいた、国宝館ですが、今年はすぐに入れそうだったので、
途中で抜け道の様なところを右に折れて行ってみます。
子供には「阿修羅に会えるよ!」と言うと、少しばかり興味を示しました。


ここの「リニューアル」も、気になって気になって仕方ありませんでした。
報道で見る限り、あまりに阿修羅中心になってしまっている様で・・・
どれほどの様変わりかとおそるおそる足を踏み入れたのですが、
ここでもまた、浅はかな想像に恥じ入る嬉しい結果に。
入り口も動線もそんなには変わっていないのですね。
何より、あの大きな千手観音像が動いていなかったのでほっとしました。
かつて目線より下に置かれていたことがあった気がする山田寺仏頭も、
居場所を与えられて温かく上を向いていました。

並ばずに入れた割にはやはり中はごった返しで、
最後の部屋に、千手観音と向き合う様に一列に並ぶ八部衆とは、
そんなにゆっくり対峙することは叶いませんでした。
けれど、狭いけれど落ち着いた場所に立つ姿は、安心しているかに見えました。
五部浄だけケースの中で、あの像は光の加減で本当に表情が変わりますが、
今回は、とても思慮深い目をしていました。
何を考えていたのでしょうね。

ちなみに子供は、阿修羅をこれまた憤怒の強烈な像と想像していた様で、
案に相違した(彼と変わらぬ)子供の様な姿だったため、またしても拍子抜けした様子。
本尊千手観音像のほうを気に入っていたようです。


国宝館を出て、興福寺境内を歩きます。
大きな覆い屋に包まれて、中金堂の再建が進められています。
中からは、耳を裂く重機ではなく、木を打つ槌の音が心地良く響いていました。
たまたまそういう工程にあたっただけかもしれません。
でも、なんとはなしに、ゆかしく感じました。




宿泊は久しぶりに、奈良ロイヤルホテル。
http://www.nara-royal.co.jp/
いい加減ユース・ホステル卒業の年齢になった頃、
ホテルなのに天然温泉(大浴場)があるという理由で選んでみました。
平城宮に一番近いホテル、という売り込みですが、今回は窓からの展望のない部屋。
そのお詫びにと、テーブルの上にたくさんのキャンディが置かれていました。
なんでもないことで、なんでもないものですが、なんとなく嬉しいものです。

ここは団体さんを見かけたことがないのも、たまたまかもしれませんが個人客には気が楽です。
スタッフの皆様親しみやすくて、私の様ないかにもお金のない旅行客、
しかも子連れ、などにもあたりが柔らかで居心地がよいのです。
それから、朝のバイキングが予想外に美味しかった^^
古い建物らしくオートロックではなく、部屋着も昔ながらの帯をしめる浴衣で、
今風のホテルに慣れた若い方には不便なのかもしれませんが。

(このホテル、私が利用していなかった間に、
会社更生法をうけて自主再建なさっていたようです。
読んでいるとドキドキしますが、よければどうぞ。
http://www.nara-royal.co.jp/story/

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2011年奈良(1)-東大寺 [寺・仏像など]

去年、物心ついてはじめて奈良を、

元興寺の天井裏見学
http://msrusano.blog.so-net.ne.jp/2010-11-06

という、お寺仏像好きにしても極めて地味な体験で飾った小六の息子。
今年の奈良も連れて行くことにしたので、今回はせめてお友達に話せる場所へと、
まず東大寺へ向かいました。

秋に25年以上通って去年がはじめての本格的雨の奈良でしたが、
今年もまた、雨模様。
息子が雨男なのは決定したようです。
登大路の緩やかな坂道を、既に飽きた疲れた帰りたいを連呼する子供をなだめつつ、
鹿にせんべいをやらせたりなどしながらゆっくり登りきり、
若草山を遠望する参道を左手に曲がると、もうすぐそこに、ゆったりと大きな南大門。
この頃からいよいよ雨粒も落ちてきて、息子の不機嫌が一層つのり、
せっかく習いたての「運慶・快慶」の仁王像だと教えても、
見る気がまったくない様子。
困ったものです。

ちなみに、かつては、右の口を閉じた吽形が運慶、左の口を開けた阿形が快慶、と、
子供に教えやすかったのですが、昭和から平成にかけての解体修理で発見された納入品や墨書から、
そんな簡単なものではないとわかり、私などではよく理解も叶わないので、
とにかく「運慶・快慶が作った像」と説明するしかなかったことを白状しておきます。


門を越えてすぐ、左手に、気になっていた東大寺ミュージアム。
(東大寺総合文化センター http://culturecenter.todaiji.or.jp/ )
今年10月10日に新規開館したばかりの、寺宝などの展示施設です。
あの境内にコンクリ造りの「ミュージアム」とはどんな殺伐とした風景になっているのかと、
密かに心を痛めていたのですが、一目拝見してすぐ、
観光客の浅はかな心配を恥じました。

木立に見え隠れしたのは正倉院正倉や、唐招提寺金堂を思い出させる、
低くておおらかな、寄棟造の屋根。
柱も壁も雨の境内に溶け込む様で、違和感がないどころか、
うっかりすれば大きな寺院によくある塔中や会館と思って気づかず通り過ぎそうです。
図書館や収蔵庫、研究施設も備わっているそうなので、
全体がどんな造りになっているのかはわかりませんが、少なくとも、
参道から眺めるには、気持ちの良い風景でした。

早速中へ。
予想外にこじんまりした空間。
ほの暗い中、LEDの光と反射のおさえられたガラスに守られて、
まず目をひくのは誕生釈迦仏立像及び灌仏盤。
小さなお釈迦さま像が、大きな平鉢の中で右手を上げてにっこり立っているあれです。
それから、直径6センチほどの銀製鍍金狩猟文小壺。
これは東大寺金堂鎮壇具のうちのひとつです。
この2つの展示は、去年東博の「東大寺大仏」展にも来ていて、
やはり照明が工夫されていましたが、その時よりよほど良く線刻が見えます。
賑わっているとはいえ、東博の混雑とは比較しようのない人の少なさもありがたいです。

ここに並ぶ一連の鎮壇具の中に、
「熟年の男性的な歯との所見がある」(カタログより)人の歯が一本あり、
これが聖武天皇のものかもしれないと言われてもいることを他の方のブログで知りました。
実は、とにかく子供のことを考えて、見たいものだけと思い、
鎮壇具はさらっと流してしまったので、この歯、見ていません。
残念です・・・。
(聖武天皇の御歯であるかもしれない、ということは出典確認していません)

左の壁に、金堂前に立つあの金銅八角燈籠の火袋羽目板のうち、
昭和37年に盗難にあって翌日破損した姿で発見された1枚。
バッ子を手に無心に衣をひるがえす音声菩薩の姿を見るにつけ、
昭和37年という、歴史上で見ればただ今とほぼ同時代に、
盗難・破損などと恥ずかしい行為のあったことが、情けなく申し訳なく思えます。
(バッ子=バッは、跋の偏が金になった字。ばっし。
金属製の小さな鍋蓋みたいなものを両手に持ち、打ち付けて鳴らす、様に見える打楽器です)

この第一室にはいずれ昨年わかって話題となった、陽剣、陰剣も加わるそうですが、
今は写真や解説板が置かれています。
他に伎楽面など並んで再奥に西大門勅額。


次の第二室、いよいよ、不空羂索観音立像と、日光菩薩立像、月光菩薩立像です。
新聞の報道写真で見た時は、大きな展示ケースの中にきらきらしく立つ姿が、
何かうそ寒い様に寂しく見えたのですが、
ここでもまた、甚だしい思い違いを反省させられる嬉しい結果となりました。

思っていたよりもずっと身近で小ぶりの展示ケースに立つ3つの像は、
光の加減かずいぶん温かな空間を作り出しています。
宗教とか美術とか、何かそういう枠など超えて、
ただただ、大切にされているという印象です。
そのためでしょうか、あの厳(いかめ)しさで一頭地を抜く不空羂索観音像が、
夢紫五色掲示板の常連さんのご感想にあった、
「方向によっては優しい女性のお顔にも見え」たというのを、
そんなばかなと訝っていたのが、実際拝見すると、まさに女性的、
ひどくたおやかに見えたので、我が目を疑いました。

三月堂では光背と宝冠に荘厳され、古い空間の中、最大の威厳を示し続けていたのが、
このミュージアムでは控え室に戻った様に、化粧を落とし、ほっと気を緩めているのでしょうか。
最も男性的と思っていた像が、化粧(けわい)のすべてを落とせば女性だったという驚き。
6本の腕など四月堂の千手観音像を思い出させる、
うねうねとなまめかしい色気まで感じました。

総じて展示に不満はなかったのですが、唯一、
この最も主要な不空羂索観音立像の展示ケースが四枚ガラスになっていて、
観音像の正面がガラスの継ぎ目となっていたのが、ひどく気になりました。
反射の少ない綺麗なガラスなだけに、何故こんなことに、と残念です。
中央に一枚ガラスをもってこれなかったのでしょうか・・・と、
ぶつぶつ思っていましたら、これも他の方のブログで「噂話」として見たのですが、
いずれ観音像が修理を終えた三月堂に戻った後には、
ここに(日光・月光とともに)弁才天立像、吉祥天立像が並ぶのではないかとのこと。
なるほど、それなら、4枚ガラスのわけも納得がいきますね。
(出典・噂の出所など調べていません)

あとは第三室で子供になんとか二月堂本尊光背と弥勒仏坐像(試みの大仏)を見せて、
超特急で外へ出ざるをえませんでした。
秘仏とか、大仏さまのお試し版などという単語には少し興味を示してくれるのですが、
もうこの時点で、他は全然だめでした。

カタログ表紙は素の不空羂索観音、

111111nara01.jpg


裏表紙が後姿だったのが、何故か愛しく感じました。

111111nara02.jpg


チケットは大仏殿と共通だと少し安くなります。

111111nara03.jpg


☆東大寺ミュージアム開館記念特別展「奈良時代の東大寺」は、
カタログによれば、
2011年10月10日(月・祝)~2013年1月14日(月・祝)になっています。
(途中展示替えあり)
しかし、公式ホームページには終了日の記載がありません。
同時に、東大寺公式ホームページに、三月堂の修理期限が、
2012年12月予定だったところを、須弥壇の予想外の劣化により、
2013年3月末日に延長した旨注意書きがありますので、
何かそのあたりの事情で特別展終了時期にも変化があるのかなと思いました。
訪問をお考えの方はご確認下さい。



外へ出ると雨もしとしと降りになっています。
とにかく大仏を見せれば興味をもってくれるかと、大仏殿へ。
手前の八角燈籠でさっきのミュージアムの話をしますが聞く耳持たず。
その上、あろうことか、大仏殿の中へ入っても、

「大仏って、どれ?」

・・・目の前にどーーんと座っているでしょう!と言っても、

「あの、金色のたくさんいるやつ?」

そ、それは光背の化仏!!!(大焦)

どうやら息子にとって大仏とは、黄金のきらきらしいものだったらしく、
現在の大仏の姿はまことに拍子抜けだった様子・・・。
ただ、手前に展示されていた、台座蓮弁の模型には興味を持ったので、
描かれている当時の世界観を説明しようとして・・・
あまりのうろ覚えに涙をのみました、勉強したいと思うのはこんな時ですね。


その後実は、二月堂・三月堂方面を断念し、
子供が社会で習って興味を持ったというので正倉院の正倉と、
私が是非見たかったので戒壇院へまわったのですが、
なんと前者は今年から平成26年まで整備工事のため外構見学中止、
後者は法会のため10日まで一般拝観中止・・・呆然としました、
きちんと事前に調べるべきですね。


☆なお、この正倉院正倉整備工事は、期間中5回の見学会が予定されているそうです。
第一回が、来春、平成24年3月16,17,18日にあります。
申し込みは往復はがきのみ、締め切りは12月9日だそうです。
詳細は宮内庁ホームページをご覧になってください。


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山田寺、飛鳥寺 [寺・仏像など]

2011年10月20日。
子供の修学旅行の一日を使って、日帰りで飛鳥へ。
奈良ではなく、飛鳥へ。

繰り返し書くにはわけがあります。
毎年、正倉院展にあわせて奈良に入りますが、
飛鳥まで足をのばすことができないまま、
もう何年も何年もたってしまったから。
最後に飛鳥に入ったのはいつだったのか。

歩いたり、貸し自転車を使ったりしてゆっくりまわっていたのは、
思い出せる限り25年も前になってしまいました。
もう、歩けず、自転車も恐い年齢と体力になってしまった今、
若い頃、できる無茶をしておいてよかったと、懐かしく思います。

今年は飛鳥資料館で「飛鳥遺珍-のこされた至宝たち」展があるので、
正倉院展とは別のこの時期に来ることにしたのです。
この特別展のことは別に書きました

まったく知らなかったのですが、この資料館の常設展示の一画に、
復元された山田寺東回廊が鉄枠に支えられてひっそりと佇んでいたので、
非常に驚きました。
念のため確認しましたが(この資料館はレプリカが多いため。笑)実物だそうで!
いつから展示されているのか聞いたら、10年くらい前ですかねえと、
気乗りのしないお返事。
なでこんなものすごいもの、もっと宣伝しないのか、
いついつこれこれの経緯でここに復元したと勢いこんで教えてくれてもいいものなのに!と、
部外者なのになぜか歯噛みするほど悔しくなりましたが、
飛鳥の地にあればごく当たり前の光景、遺品、騒ぐほどのものではないのかもしれませんね。

復元展示は1997年が最初のようですね


山田寺東回廊、これが土中から、倒壊した当時の姿そのままで、
連子窓も美しく発見されたのは、1982年でした。
他のどんな貴重な遺跡や遺構、古墳の発掘にもまして、
当時の建物がそのままの姿で出てきたことは心を深く刺激し、
新聞テレビを賑わすその情報に強く憧れて、
学生だったその年の秋、早速山田寺を訪ねました。

一般公開日でも何でもない時期で、はたして寺域に入れるのかどうかすら、
確認することも思いつかないおぼつかない道行でしたが、
道から普通に続く発掘現場で、そこここのブルーシートの合間に見つけた、
少し深く掘り下げられた四角い穴の中、
底のぬかるみにうずまった遺構を見ることができました。

それからだいぶして再度訪ねたときは、ただ小さなお堂が残るだけで、
特に遺跡らしきものはなくなっていた・・・と、思っていました。
今回資料館の人も、今ではただ広場になっているだけ、とおっしゃっていました。

それでも、こんな風に回廊と出会ってしまったので、
呼ばれる様にまた、山田寺へと足を運ぶことに。


10月なかばすぎだというのに、真夏を思わせる暑い午後の日ざしをうけて、
さして遠くないはずですが道の記憶がない不安の中、
へばりかけながらゆるい坂道を登ります。
黄金色に輝く稲穂のたわみと、
それをピンクで縁取る如く濃く薄く咲いたコスモスの明るさに励まされて、
山田寺あちらの標識に沿って小さい村道を曲がると、
かすかな記憶通りの、小さなお堂。

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光の柱が立ちましたね。

それから館の方が言ってらした通り、奥には野原が広がって・・・いると思ってよく見たら、
何か遺跡の表示らしきものが遠くに見えます。

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それで東側にまわってみると、野原ではなくて、ちゃんと、伽藍の基壇などが復元整備されて、
説明版などもありました。

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特に今の本堂の裏側にあたる、おそらく金堂の基壇部分の眺めは、
遠く金剛・葛城のあたりまで見はるかせ、吹く風も切ない郷愁に満ちていました。

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人の姿もなく、歩けば草虫がてんでに飛び出す場所でしたが、
下草はよく刈り込まれて誰かの手の存在を濃厚に感じさせます。
臍をかむ思いで命を絶っただろう、遠い昔のこの寺の最初の発願人のこと、
それから随分たって強奪されたまま、今も興福寺にある本尊仏頭のこと、
現代を当たり前に暮らしている私には想像するのも重過ぎる、
連綿と続く人の心の蠢きを、足元の草からも感じる様でした。


それからどうしても行っておきたかった、飛鳥寺へ。
地図で見てもわずかな記憶を頼っても、山田寺への道と距離はさほど変わらない、
と思って来た道をてくてく戻りましたが、道路標識に飛鳥大仏3.7キロ、とか、
それくらいの数字を見つけて断念。
タクシーを呼ぶつもりで資料館まで戻ると、ちょうど来た檜隈行きのバスに乗れました。
1時間に1本ほどの様です。

このバスが、何これどこ通っているの!?と、普通よりはうんと小型のバスですが、
両側の軒がくっつくのではと思う様な狭い道をやたらと曲がりながら進みます。
ご存知の通り、飛鳥は全域が歴史的風土特別保存地区指定で、
厳しい建築規制で通常の住宅が建てられませんから、
まるで御伽草子の様な懐かしい家並みの中をバスが行くのが、
どうにもかえって異次元に迷い込んだ様なおかしな気持ちにさせてくれました。


そうして到着した飛鳥寺。

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はじめて訪ねた高校の修学旅行の時に比べれば、
本堂も建て替えられ、周囲も綺麗になって驚いた時期もありましたが、
今はやはり、そこだけぽつんと小さく残るお寺、という印象が強いです。
観光客は流石にたくさんいて賑やかでしたが、
みな、ここで何を見ていくのでしょうか。
否、ちゃんと、見ているのでしょうか。
止まっている時を。
続いている歴史を。


このお寺は、相変わらず、変わっているなあと思います。
聖にも俗にも傾かず、
権高くもないけれど親しみやすいわけでもない。
のどかな風景の中にあってここだけなんだかせわしなく、
たしかにお寺なのに、お寺らしさを感じない。
不思議は更に続きます。

まず本堂。
さして大きくないというより、せっかく建て替えてもやっぱり小さなお堂です。
以前より手前の供物の場所の分遠くなった気がしますが、
丈六の仏像では全国でも一番近くで拝観できる一箇所ではないでしょうか。

そして、風です。
本堂に座ると、いつも、入り口から奥に向かって、風が吹いています。
この日も、外は蒸し暑くこそあれ、風など感じなかったのに、
堂内に座ると、心地良い風がむしろ強く吹き渡っていました。
・・・扇風機?確認してきませんでしたが、
たしか以前訪ねたときも、風が不思議で探してみましたが、
人工的なものはなかったと記憶しています。
誰の心にも、明日香風、という言葉が浮かぶに相応しいお堂です。

そして一番不思議なのが、おおらかな写真許可と、
時々始まるあまり熱意のこもらない解説でしょうか。


昔聞いた話です。
飛鳥寺の釈迦如来像、向かって右からのお顔は、
厳しい、過去。

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中央からのお顔は、
平静を保つ、現在。

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そして向かって左からのお顔は、
優しい、未来。

111020ask10.jpg


堂内を携帯で撮ったので写り具合がよくありませんが、
そんな風に見えるでしょうか?
焼失損壊でほとんどが稚拙ともいえる補修姿、
おそらくわずかに杏仁形の御眼と周辺、御指の一部などだけが往時の姿ではないかと言われ、
お顔も無惨な傷あとばかりのこの像です。
けれど高校生だった私が、天啓ともいえる何かを得た像です。



それからもうひとつ不思議なところ。
建て替えてもやはり、回廊・・・というより普通のお宅の廊下沿いに、
出土品や関係する資料が展示されているところ。
その廊下を歩くとすぐ、小さな中庭があって、そこには南北朝や室町時代の石灯篭などが、
ごちゃっとまとめて置いてあります。
簡単な説明板も見え隠れし、およそ「庭」の風情とは遠いにも関わらず、
なんとはなしに、気に掛かります。

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こうして廊下をぐるっとまわって入り口に戻され、
靴を履いてさようなら、なのですが、その手前の樹の葉裏に、
こんな虫の抜け殻が。
ぴんぼけですが。

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うといのでセミなのか他の虫なのか、
今の時期にこんな人目につく場所にぶらぶらしているものなのか、
もしかしたらおもちゃなのか・・・
もうさっぱりわかりませんが、
出会ったのは縁。
見過ごすことができなくて・・・。


帰りもまた、1時間に1本のバスがあと3分もすれば来るという時間で、
ありがたくそのままバスで近鉄橿原神宮前駅へ。
真新しい黄色い帽子をかぶった小学生がたくさん乗っていて、
三々五々とあちこちのバス停で降りて行きました。
全然関係もないのに、各地から集められた采女に思いを馳せました。



飛鳥に入って、飛鳥を出る時、
耳成・香具・畝傍の大和三山と、
東の三輪山、西の二上山を確認するのを常とします。
今は建物に埋もれ、近鉄の車窓から切れ切れに見えるだけですが、
ここが、飛鳥。ここが大和。
古代の人たちが、常に眺めて暮らしたしるべの山です。

そうして懐かしい飛鳥は、押し返される様な不思議な拒絶感に満ちていました。
見えない透明なゴム鞠に包まれていて、入っていこうとすればするほど、
気づかぬうちに強い力で押し戻されているような。
苦しいほどの。
どうしてでしょうね。

もしかしたら。
橿原市から明日香村に入ったとたんに、忽然と現れる、
守られた日本の農村の原風景のあまりの不自然さに、
ジオラマを見ている様な言いようのない気持ちになった、
そのことと関係があるのかもしれません。

拒絶されても、触れられなくても、
焦がれる思いは変わりません。
親に捨てられた子でも親を恋うように、
やはり私は飛鳥が好きです。



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飛鳥遺珍-のこされた至宝たち- [美術館・博物館]

飛鳥資料館
「飛鳥遺珍-のこされた至宝たち-」展
会期:2011.10.14(金)~11.27(日)
訪ねた日:2011.10.20
書いた日:2011.10.21


9月末の新聞で、飛鳥資料館で面白そうな展示があることを知りました。
公式サイトを確認しに行くと、

「(前略)飛鳥に由来する多くの文化財が、今日、日本各地の博物館や研究所に分散して保管されています。
今回の展覧会は、そうした明日香村外に保管され、普段はまとめてみることはできない飛鳥の至宝ともいうべき文化財のいくつかを一堂に集めて展示しました。(後略)」

好奇心と郷愁をかきたてられるに充分な惹句です。
いてもたってもいられなくなり、子供が修学旅行に出かけた一日を使って行ってきました。
もちろん日帰りです(笑)。

ちゃんと飛鳥に入ったのは、いつ以来でしたか・・・。
随分若い頃、近鉄橿原神宮前駅からひとりでてくてく歩いて飛鳥入りしたことがありましたが、
今はとても・・・もはや自転車もやめておいたほうが良い年齢になってしまいました。
かめバスというバスがあると聞いていたので探したのですが、
「運行は○×にお問い合わせを」と時刻がよくわからない謎の記述があり・・・
めんどくさくなったのでタクシーで飛鳥資料館へ。

その運転手さんがしきりと、あすこはほとんど働いていない、その証拠に門が半分しか開いてない、
中に入ったら本物とレプリカの区別をして見なければいけないなどと(そうでしたね(笑))、
笑い話のように話してくれまして、随分詳しそうでしたが、特別展のことはご存知なかったそうです。
なんとなく危険な予感・・・。

はたして中に入ると、復元漏刻の模型がどんと展示してありまずが、
館内は閑散。
展示も動線が滅茶苦茶で、常設展示に今回の特別展の展示品が混ざっていたりして、
普段お邪魔しない私には、判別できない有様。

特に、岡寺の天人文甎(せん)を楽しみに訪ねたのに、
一階にレプリカと、その隣に鳳凰文甎の写真があったので、
一瞬、これだけかと真っ青になりました。
本物の天人文甎は地階にちゃんとあり、その隣には鳳凰文甎のレプリカが並べてありました。
ややこしい・・・一階は常設展示なのでしょうか、
せめてこの期間、本物は地階にと書いてもらえれば・・・。

更に目玉展示のひとつのはずの「小治田」墨書土器も、
1階の最初の部屋では写真だけの展示、
実物は奥の別の部屋にありました。

また、カタログの裏表紙に可愛らしいハート形の「坂田寺跡出土水晶」の写真が使ってあったので、
これを見なければと探しにいくと・・・
そもそもが小さいものですが、展示ケースの2枚開きのガラス戸のあわせ目に隠れ、
かつ、「坂田寺出土云々」の展示名カードのすぐ裏側に置かれているため、
ほとんど見えません。
伸び上がってのぞきこめば、透明の物体であることはわかっても、
角度の関係でいびつな丸型になり、ハートの形にはまったく見えませんでした。
なんて残念な・・・。
展示位置を少し動かせばよく見えるはずなのでよほどその場で学芸員さんにお願いしたかったのですが、
モンスター観覧者になる勇気もなくて、アンケートに書いてくるに留めました。
読んでくださるといいのですが・・・とてもとても心残りです。




なんといいますか、都内の最新設備の整った博物館・美術館の、
設備のみならず手の心の行き届いた展示とは、比べるのも申し訳ない有様です。
かと言って、私の好きなかつての雑然としながらも知識の宝庫としての尊厳のあった、
古い形の博物館とも違う、この寂しさは何なのでしょうか。
随分以前に訪ねたときは、こんな印象はなかったはずなのですが・・・。


けれどしかし!
展示品は良いのです。
それから説明板も。
最新の情報なのかどうかまではわかりませんが、
詳細で知識欲を満足させてくれます。
そのためか、いかにも古代史マニアという風情の、
お一人でいらしてる年配の男性が多かったようです。
平日の昼間でしたしね。


さて、特別展に来ていた、天人文甎。
なんてほのほのと、柔らかく優しいのでしょう。
ふうわりと天から降り立った天人の、眉のあたりに漂うほっと眠たい様な安堵感まで、
天衣を翻す風とともに伝わってきます。
少女の、抱きしめればほろほろと崩れてしまいそうな、
あやうい体の温かささえ、たぷっとした衣越しに感じられます。
どれほど私はこの甎が好きか。
この、焼き物に閉じ込められた天の人のかそけき命が好きか。
たったひとりになってしまっても、誰かに、何かに、永遠に供奉する姿・・・。

春にサントリー美術館で鳳凰文甎を見ていますから、
久しぶりに満足しました。
ふたつが同時に並んでいるのを見たのは、もしかしたら、
平成8年4月の群馬県立歴史博物館「謎の大寺・飛鳥川原寺 白鳳の仏」
が、最初で最後かもしれません。
ともに岡寺で発掘されながら、今は所蔵を異にするためなかなか並んで見ることはできない様ですが、
約40センチ四方のこの甎仏で荘厳されていた床かあるいは須弥壇の腰などを、
遥かに想像するのは楽しいことです。


それから、古宮遺跡出土金銅四環壺。
古宮(ふるみや)遺跡は雷丘の反対側、飛鳥川の西岸にある遺跡だそうですが、
そこから明治時代、田仕事の最中に掘り出されて宮内庁お買い上げとなった、
最大直径40センチを越える堂々とした金銅の壺です。
見たときは、さすが宮内庁、と舌を巻きました。
もちろん、お買い上げだから素晴らしいという意味ではさらさらなく、
やはり、良いものを買っていくのだなあとしみじみ思ったわけです。

張りのある豊かな丸みはぽんぽんと跳ねそうなほどで、
写真ではなく是非実物で確認してほしい逸品です。
更に、肉眼ではほとんど錆で見えなくて残念ですが、
ところどころ垣間見える線刻の素晴らしさときたら、
全体が判明したらどれほどかと。
置かれているだけで、空気が清浄になるかと思うほどの、
香気漂うものでした。

胴部分に大きく大小対の鳳凰が2組あしらわれているそうで、
壁にその一部の線画が提示されていたのですが、これまた不親切で、
壺のどの面、どの部分にそれがあるのか、わからない。
周囲をくまなく眺めつくしてきましたが、とうとう、鳳凰の一部も見つけられず終いでした。

実は、そばにいた警備員のおじさまに聞いてみたら、
ニコニコと「ここらへんにあるって聞いてるよ」と指し示して教えて下さったのですが、
それは、壺の展示からいくと、真裏で・・・ほんとかなと思いつつも特にじっくり見てみましたが、
裏なので逆光になり、全然見えませんでした。


そして、法隆寺献納宝物から、
台座背面に「山田殿像」の銘のある144号、阿弥陀如来および両脇侍像と、
台座の蓮弁に檜隈寺の軒丸瓦と同様の火炎紋のある149号、如来立像。
東博法隆寺宝物館でいつでも会える2組ですが、この記述を見れば、
今、飛鳥の地で見える(まみえる)意味の重さが、心に迫ってきます。

「約930年ぶりの里帰り」

法隆寺献納宝物は明治11年(1878)、法隆寺から皇室に献納されたものが母体です。
そして法隆寺には、承暦2年(1078)、橘寺から49体の金銅仏が移入されています。、
つまり、現在の献納宝物の中には、930年ほど前に橘寺から移入されたものが含まれている可能性があるわけで、
今回選ばれた144号と149号は、言うまでもなくその可能性の高い2組です。

なので解説文の全文は、
「今回の資料が橘寺由来のものであれば、承暦二年以来、約930年ぶりの里帰りとなる」
です。
それでもやはり、見慣れたはずの2組の像に、
ひさしぶりの飛鳥は、どうですか?変わってしまったでしょう、
それとも、東京よりは、往時の面影が残っていますか?
など、人に聞かれでもしたら気が触れたと思われかねない会話を、
頭の中でずっとし続けていました。


展示は他にも、高松塚古墳、キトラ古墳、石舞台古墳、牽牛子塚古墳、他各遺跡出土品など、
古代史好きにはたまらないものです。
会期中無休ですが、石神遺跡出土具注歴木簡と飛鳥池工房遺跡出土「天皇」木簡のみ、
11/3(水)~13(日)の展示で、その他の期間はレプリカですのでご注意下さい。


飛鳥資料館、かめ石レプリカ越しに。

111020ask02.jpg


今回特別展、入り口の看板。

111020ask03.jpg


なおなお、常設展示に予想外のものがあって嬉しかったりしたので、
飛鳥での半日とともに、後日また書きたいと思っています。

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